賀茂別雷(上賀茂)神社境内摂社 式内 片山御子神社
片山御子神社(玉依比売命)
Contents
概 要
社号 式内社(大 月次/相嘗/新嘗) 愛宕郡 片山御子神社 (賀茂別雷神社第一摂社)
読み:カタヤマノミコ
所在地 京都市北区上賀茂本山339
旧地名 山城国愛宕郡
御祭神 玉依比賣命 (異説は多い)
例祭日
社格等
古代社格制度『延喜式神名帳』
畿内:658座(大231座・小427座)
山城国 式内社122座 大53座(並月次新嘗・就中11座預相嘗祭)・小69座(並官幣)
愛宕郡(オタキ) 21座(大8座・小13座)
式内社
近代社格制度
創建
本殿様式
一口メモ
賀茂別雷神社の楼門の手前、御物忌川を隔てて片岡山(鶴ケ丘)の西麓に南南西に向つて鎭座する。
歴史・由緒等
延喜式内の古社である。『延喜式』には、「片山御子神社 大、月次 相嘗 新嘗」と載せている。賀茂県主族の祭祀の権を握って居られた最高の女性、本宮御祭神別雷神を感得せられた神で、常に別雷神の御側に侍ってお仕え申し上げておられたのである。
よって現在にあっても本宮恒例の祭祀には、先ず当神社に祭を行う例となっている。それは只今より御奉仕申し上げる本宮のお祭りは、御祭神の御名によって、お仕え申し上げる由を、予め奏上せんとする意味から行うのである。
古来第一摂社と崇められている。事情かくの如くであるので、皇室の御崇敬も厚く、本宮へ行幸、御幸等の場合は当社へも奉幣あらせられることが屡々あった。
天正19年6月11日正一位を奉られている。古く当社の後ろに「よるべの水」を湛えた甕が三個あったが、天正年中汚穢を懼れて地下に埋没したという。
-「境内案内板」-
片山御子神社の「御子」は「神の御子(子供)」ではなく「巫女」(ミカンコ)の意で祭神は最高巫女の神格化せられた神とみなければならないとし、祭神を玉依比売命とする。
この片山の御子神が神山以来の別雷神に仕えた巫女神であつたことを物語つている。
古来より賀茂別雷神社の第一摂社であり、現在もそうである。本宮の祭典に当つては神饒を献し終つて祝詞の奏上にうつるのは、古今を通じて同様であるが、その祝詞の以前に本宮の献饌を終つて直ちに第二席の神職(維新前には片岡社の禰宜と祝との二員)が片岡社に参向して祭祀を行ふのである。その祭祀中、片岡社に対する祝詞が終るや、神人(維新までは社務の預役)が「片岡社の土まつり」といふ詞を申すのである。本宮ではその詞を聞いて後、本宮に祝詞を奏上する例となつている。(『賀茂社祭神考』)。この次第はすでに『嘉元年中行事記』にみえ、その起源の古いことを示している。
-「延喜式内神社」さんより-
境内・社叢
境内図 神社公式ページより
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